ひとりごと

管理人のひとりごとです(^_^;)。

矯正を始めるまでに・・・

矯正を始めるまでに、相当の時間がかかったなぁ。思えば、小学生の時・・・歯の検診で受け口のこと指摘されたんだよなぁ。それで歯医者さんで相談したら、私の場合、骨を削らないとだめだって、矯正だけではとても無理だって言われちゃって。骨を削るなんて、考えられなかった、怖くて・・・この辺の病院では無理だから、もし治療する気があるのだったら東京の大きい病院紹介するけど?みたいに先生に言われた。東京で骨を削るなんて、全く考えられず、その頃は断念しちゃった。小さい時のことだけど、その時のこと、はっきりと覚えている・・・

小学生の頃、特に中学年くらいの時が、一番いじめにあった。言葉のいじめ・・・つらかった。登校拒否にもなった。性格的に暗くなった。中学に入ってからも、言葉のいじめはあった。でも小学生の時とは違い、性格はかなり明るくなってきた。小学生の頃みたいに、言われなくなってきたから・・・周りの友達にも恵まれたからなんだろうなぁ。その頃周りにいた大人にもひどい人がいた。可愛い子には優しくし、私には冷たい態度・・・許せなかった。完全に差別されていた。どんな立場の方というのはあえて言わないが・・・私はあの頃のつらさ、くやしさは今でも忘れない。

高校は女子高を選んだ。小学生の頃から男子にいじめられてきたから、女子高がいいと思った。たくさん友達ができ、いじめもなく、とても楽しい高校生活だった。ただ、周りのみんなはきれいで、私はかなりコンプレックスを感じていた。友達は私と普通に接してくれてるんだけど、どうしても一歩引いちゃっていた、私。みんなで写真を撮っても、自然な笑顔での写真は1枚もない。

コンプレックスを持ちながら、どんどんと大人になっていった。周りは普通に接してくれているんだけど、小さい頃の嫌な思い出のため、かなり人間恐怖症みたいになっていた。だんだんと、付き合う友達も限られていった。自分が心地よいと感じる友達としか付き合えなくなっていった。

大人になってからも時々は矯正をしようかなって思う時があった。でもなかなか決断が出来ぬまま、この歳まできてしまった。たまたまいろいろなタイミングが重なり、矯正をするチャンスがきた。これが自分にとってラストチャンスだと感じた。でも決断までには時間がかかった。最終的には両親の優しい言葉で矯正を始める決心がついた。コンプレックスをなくして、ゼロからスタートしたいという私の気持ちをすんなりと受け止めてくれたから、矯正をする決断が出来た。

矯正を始めて数ヶ月、私の場合、かなりの痛みで、つらくて苦しんだ。たくさん泣いた。矯正なんかやめてしまおうって思ったこともあった。でも家族に励まされて何とか乗り越えられた。待ち望んでいた手術が出来る段階に来た時もかなり迷った。歯並びだけきれいになればもうこれでいいかなとも思えた。また、ここまでつらい思いに耐えて頑張ったし、ラストチャンスを無駄にしたくないと思う自分もいた。小さい頃の嫌な思い出が頭の中に思い浮かんだり、手術後の普通の噛み合せ、顎のラインになった自分を想像してみたり・・・どうしよう、どうしようって・・・こんな時も両親は自分のやりたいようにしなさいって言ってくれた。結局ギリギリまで悩み、最終的に手術を受けることが出来た。

手術が終わった今、あんなに悩んでいた自分がとても恥ずかしいと思える。あんなに怖がらなくてもよかったなって。手術を無事受けることが出来て、普通の噛み合せ、顎のラインになれたこと、とてもうれしい。もっと若いうちに決断が出来ていたら・・とも思うけど、矯正をするタイミングは、私はこの歳になってからで、今が一番いい時期だったんだなぁって・・・最高の状況で矯正を始められて、手術も受けられて、自分はほんと幸せだと思った。そして、私のわがままを聞いてくれた両親には心の底から感謝でいっぱい・・・言葉では言えないくらいの感謝でいっぱい・・・

術後矯正が始まった今、もうゴ〜ルは近い。大きな大きな手術という山を乗り越えられて、後は坂道を下るだけ・・・ゆるやかな坂道を穏やかな気分で下るだけ・・・どのくらい時間がかかるかはわからないけれど、ゴールはすぐそこまで来ているから・・・あと少し、頑張ろうと思う。

最後に・・・
矯正・外科手術をして本当によかった(*^-^*)
素直な気持ちでそう言える。

うまく言えないけど・・・

自分が矯正を始める時や、矯正中、手術が決まった時など何とも言えない不安でかなり悩んだ。どうしようもない気持ち・・・特に手術前なんて、怖くてたまらなかった。この現実から、逃げ出したいと思った。なぜ私だけ・・・???とも思った。でも、いろいろなサイトにお邪魔して、つらく苦しんでいるのは自分だけではないんだ・・・また、自分のサイトをアップして、同感です、頑張って!とカキコやメールをもらってホッとしたというか・・・現実社会の周囲の人達に励まされるのとは違って、同じような立場で悩んでいたりする方々の励ましは、私にとってとても心強いものだった。ほんとにうれしかった・・・みんなのあたたかさ、励ましがあったからこそ、手術を受けることが出来たんだと思う。

手術も終わった今、今度は私がこれから矯正や手術をする人を励ましたい。私がみんなからもらったあたたかい勇気を、これからの人に分けてあげたい。掲示板やメールで、不安です・・怖いです・・という言葉を見ると、せつない気分になるというか・・・自分もそうだったから・・・その心境が痛いほどわかるから・・・

うまく言えないけど・・・一緒に矯正生活、乗り越えようよ!励ましあって、頑張ろうよ!ひとりで悩んでいないで・・・同じように悩んでいる仲間は、たくさんいるから・・・

術後の後遺症、、、麻痺(痺れ)

私の場合、下顎左側の部分に術後の後遺症として麻痺(痺れ)が残った。術前の検査から、麻痺はほとんど出ないでしょうと言うことだったのでまさか自分に麻痺が出るなんて思ってもいなかった。術後しばらくは、かなりのストレスで、この部分取りたい〜なんて言っていた。ビリビリする痺れも、かなり不快なものだった。左右の下顎は同じ割合で下げた訳ではなかった。多く下げた右側には全く麻痺・痺れは出なくて、あまり動かさなかった左側のみに出た。この麻痺について、悪い風に考えた時期があった。もしかしたら右側は研修医がしたのでは???と・・・また、矯正歯科でのブラケットの付け方がまずく、手術中に外れて、その処置のために麻痺・痺れが出てしまったのでは???と・・・

決めていたのに・・・

受け口が原因でいろいろとつらい思いをし、泣いてきた自分。またそんな自分を優しくあたたかく見守ってくれていた母。今回手術を受けて、もう母の前では絶対泣かないって決めていたのに、昨日(9/30)の矯正歯科での診察のあとに、泣いてしまった。もう矯正に対して「疲れた、辞めたい・・・」と言いながら。先が見えそうで見えてない矯正生活。不安なことばかりで、この先自分がこの生活に耐えていけないのでは?・・・そう感じてしまって・・・きれいになったじゃない!いい感じよ!と、母の言葉。でも今の自分はその言葉を素直に受け入れられない。なぜ?って、これを読んでいる方はそう感じると思う。理由はまだこのサイトの中では何も話していないから・・・きっと話すことが出来たら、楽になるとは思う。ただ今の自分には話すことが出来ないと言うか・・・ごめんなさい。

ちょっと前に、母が「お前の涙を見ると、こころがつまる思いがする」ってそう言っていた言葉、思い出した。そう言われた時も、もう涙はもう見せないって決めていたのに・・・心配ばかりかけてしまっている自分が、情けない。またまた泣いてしまった自分が情けない。

見えそうで見えないゴールを目前に、術前で予測できたことがあった・・・という事実。矯正以前の問題・・・どうしていいかわからなくなっている自分。今起きていること・・・この先のこと・・・矯正生活以外の生活のこと・・・全てが頭の中をぐるぐる駆け巡っていて、母の前で涙を流してしまった。決めていたのに・・・泣かないって。

あと何回???

矯正が終わるまでに私はいったいあと何回泣くんだろう?矯正歯科でのいろいろなトラブル・アクシデントに対して、あと何回泣くことになるんだろう?

矯正が始まった頃は、痛みに対して泣き、手術が出来る段階になったら手術に対する不安で泣き、入院直前に矯正歯科の経験のなさからのアクシデントで泣き、手術中にほとんどのブラケットが取れてしまい、その処置のための矯正歯科でのやりとりに泣き、前歯の中心のずれで泣き、看護婦とのやりとりで泣き・・・その他まだたくさん泣いたなぁ・・・

ちょっと前に、前歯の中心のずれが合ってきて、先が見えてきた〜って、あと少し頑張ろうって、そう思えてたのに、またここにきてちょっと矯正に対して疲れたかなって。

手術が終わってからも、こんなに何回も泣くとは思ってもみなかった。あと何回泣けば、私の矯正生活は終わるの???いつになったら不安がなくなるの???矯正生活って本当につらいなぁって今は思う。あと何回泣くんだろう・・・???

今ふと感じたのでひとり言として書きとめてみた・・・

2002/11/2

外科的矯正治療を終えて・・・

外科的矯正治療がとうとう終わった。プレート除去手術が終わった瞬間、そう思った。

今、終わった事に対しては、ものすごくうれしいけど、その反面、寂しさももちょっぴりある。あと何回あの大学病院に行くことになるのかな?あと何回主治医の先生や、看護婦さんたちに会えるのかな?もう入院することもないんだよなぁ。そう考えたら、何となく寂しくて・・・あまりにもみなさん、いい方々ばかりだったから、もう会えないかと思うと、何だか寂しい・・・

今、初めて大学病院に行った日のことから、今回の除去手術入院が終わるまでのことがいろいろと頭の中をめぐっている。誰にも言わず、紹介状を持ち、ひとりで新幹線に乗り、泣きそうになりながら行った日のこと。周囲の人の目に、私はどんな風に映っていたのかな?初めて降り立った大学病院のある駅。ネットでは構内の様子、出る改札なんかも見ていたけれど、実際着くと、頭の中は真っ白で・・・そう、途中駅の掃除をしている方に、「○○大学病院は、ココから行けばいいんですよね?」って、聞いたなぁ・・・改札を出て、タクシーに乗り、「○○大学病院まで・・・」って。緊張をほぐそうと思い、タクシーの運転手さんに話しかけた。女性のドライバーさんで、感じのいい方だった。タクシーから見る大学病院までの街並み、異国に来たような、そんな感じだった。タクシーに乗り、十数分で大学病院に着いた。大学病院の建物の様子は、ネットでよく見ていた。実際に正面玄関を見た瞬間、とうとう来たんだなぁって。緊張と不安で、受付に行った時はすごい顔していたんだろうなぁ・・・待合室で待っている時なんか、もう逃げ出したいくらいだったよ。主治医の先生が、手術中だということで、他の先生に診察していただいたんだよなぁ。泣きそうになりながらいろいろとお話して・・・会計を終え、大学病院の玄関先で家に電話をし、母の声を聞いた瞬間、涙がボロボロ・・・周りの人、どうしたの?って感じで見てたっけ(笑)

次の診察日には、主治医の先生にお会いすることができた。大学病院のHPで先生の写真は見ていたから、初めて会ったという感じはしなかったなぁ。笑顔が印象的だった。ものすごく優しそうににこっと。主治医の先生の笑顔には、診察に行くたびにホッとさせられたというか、あの笑顔を見ると緊張もほぐれて、安心できた。あの笑顔、あと何回見れるのかな?

顎の手術で入院した時は、もうめそめそしてて・・・入院した翌日なんて、朝から泣いてて(^^;;どうしようもない患者だなぁ・・と思われていたんだろうなぁ。確か手術日の6日も前からの入院で、自己血を採取した後、「外泊したい。」と言ったけど、許可がもらえず・・・私が病院の雰囲気に慣れるようにと、先生のお心遣いだったんだよなぁ・・・ねぇ、先生!!(*^-^*)手術前はいろいろな科の方々が病室に来て、そのたびに自分の不安な気持ち、話しまくり・・・(^^;;そのお陰で、徐々に病院の雰囲気にも慣れていった。また、病室の方々にも恵まれていたし。いろいろとあったけど・・・今考えると3週間はあっという間だったなぁ。

顎の手術での入院生活も終わり、その後除去手術入院までの半年間、数回大学病院には診察に行った。術前とは全く気持ちが違い、診察日の前でも夜は眠れた。行くたびに最初の頃の診察日のことを思い出し。また入院時のことを思い出し。

除去手術入院が近づくに連れ、また半年前のようにドキドキ。以前の時よりは、落ち着いてはいたけれど、それでもかなり不安で・・・でも終わってみると、あっという間で・・・わがまま言って、予定よりかなり早めに、抜糸せずに退院させてもらっちゃったけど。今回退院が決まったあとに、いろいろな先生や看護婦さんに、抜糸前に退院したいってK先生にわがまま言っちゃったってことをちょっと後悔している、不安だ・・と言ったら、もしだめなら退院させないから、大丈夫よ!って。そうに言われて納得(笑)退院の日の朝、病棟処置室での最後の主治医の先生の処置。その時初めてこのサイトを教えた。こういうサイトをしていることは前からお話してあったんだけど、URLは教えていなかった。前から先生に言おうと思っていたのですが、ちょっぴり恥ずかしくて、なかなか言えなかった(^^;;アクセスした時は足跡残してください〜とお願いしたら、先生、笑っていました。この場で・・・先生、足跡残してください〜(笑)

今回も病室の方に恵まれていました。年配の方ふたりとの3人部屋。新幹線の時間、ギリギリまでお話してました。また玄関まで、タクシーに乗るまで見送ってくださって・・・帰りの駅までのタクシーの中、今までとまた違った気持ちが押し寄せてきた。とうとう終わった・・・って。

うまく言えないけど・・・私は、この顎の手術を受けることに対して、受けたことに対して、言葉には言えないくらいの思いがある。普通の人では悩むことがないことを、小さい頃から悩み続け、つらい思いをし、たくさん泣いてきた。今こうして外科的矯正治療を終えることが出来て、私は幸せだなぁって思う。先生、看護婦さん、病院スタッフ、入院患者さん・・・そして家族・・・たくさんの方々にあたたかく見守られて幸せだなぁって。また、ネットの中で同じような悩みを持っている方々に、たくさんの励ましをもらい、元気をもらうことが出来て幸せだなぁって。現実の生活の中での人にはわかってもらえない悩みを、ネットの中で同じような立場の方々にお話することでどんなに救われたことか・・・これからは、これから外科手術を受ける方々に、今まで私がもらった元気を分けてあげたいなぁって思う。

最後になりましたが・・・みなさんのお陰で、素敵な笑顔を手に入れることができました。感謝でいっぱいです。支えてくださったみなさん、本当にありがとうございました。これから矯正・外科手術を受ける方も、頑張ってくださいね!仲間はココにいますから〜(*^-^*)v

2002/12/5

来年は・・・

外科的矯正治療も終わり、ホッとしている今日この頃です。矯正を始めていろいろとあったけど、とりあえずひと段落って感じかな?私は、矯正するのと同時に仕事を辞めてしまいました。自分なりにいろいろと考えた結果、このような生活を選んだわけです。この期間、両親にはたくさん迷惑や心配をかけてきました。でも、けじめ?がついた今は、これからのことを落ち着いて考え、両親に頼らない生活をしていこうと思っています。これ以上の甘え、わがままは絶対に許されない・・・(^^;;長い長い充電期間でしたが・・・この1年半くらいの生活を振り返ってみても、後悔はありません。私には必要な生活だったんだ・・って思えています。

私にとって、来年は新しい生活?のスタートの年になります。何事も前向きに考え、頑張っていこうと思っています。もし、くじけそうになったら、皆さん支えてくださいね!(ココでもまた甘えてしまってるぅぅ・・・)(^^;;(笑)

こんな私ですが、来年もよろしくお願いします。m( _ _ )m

2002/12/12

愚痴?ってもいいですか?

何となく耳にする外科的矯正を否定するような言葉・・・そんなに悪い言葉での否定ではないんだけれど、遠まわしの言い方のような・・・うまく言えないけれど。でもそんな言葉を耳にすると、何となく落ち込むというか、悲しくなる。

外科的矯正治療を受ける人間は、矯正だけでは治すことは出来ず、悩みに悩んで手術を決意するわけだから。それしか治す手段がなくて、それを決意するしかないの・・・矯正だけで治せるなら、どんなにうれしいことか・・・矯正だけで治せるなら、どんなに精神的にラクなことか・・・いろいろな思いで手術を受けているのに、否定するような言葉を見たり聞いたりすると、複雑な心境になる。

私の場合、手術を決断するまでに言葉ではいい現せないほどつらい経験をし、また、長い長い年月、悩みに悩みんだ。初めて骨を切らないと治らないと言われたのは、わずか7歳くらい・・・そんな7歳くらいの子が、骨を切るという言葉を素直に受け入れられるだろうか?そんな時期から悩んできた。だから、、と言うわけではないけれど、私は手術に対して否定する言葉は、何となく・・・・・・・・・つらい・・・・

麻痺や痺れの後遺症が残る確立は高いかもしれないけれど、そんなつらさは今までの経験よりもはるかに小さいもの・・・実際私は、後遺症は残ったけれど、後悔なんか全くしていない。それよりも、外科手術を受けられて、普通になった喜びのほうが大きい。

矯正だけの治療をしている方だって、いろいろと悩んできたと思う。矯正を始めようと決意するまでに時間のかかった方もいると思う。

矯正だけ、外科手術をともなう矯正・・・治療方法は違う部分もあるけれど、でも矯正する、、と言うことは同じだと思う。

外科的矯正を否定するような言葉に関して、最近気になっていたので、ちょっとココで愚痴?ってみた・・・ごめんなさい・・・

2003/2/15