公開日記-004(入院生活編)

このページは、コンクパールさんの日記です。

8月18日(入院当日)

昨日から子供を実家に預けていたので朝、出勤する夫を見送った後、小型のスーツケースを持って出発。
いつも旅行ではあれもこれもと荷物が多くなるけど今回は入院説明の時になるべく少なめにって看護士さんから釘をさされていたので、少なくて不安になる程にしたつもりだったのに詰めると結構な量になっていた。
10時半頃、病院に到着。入院手続きなどをしてから11時に病棟に案内された。
まず、病棟の案内をしてもらって詰所前で体重、身長、血圧を測った。
病室に行き、病棟主治医のY先生を紹介され、先生にアレルギー検査をしてもらう。
12時になると昼食が出た。
その後は何をしていいか分からず、パジャマにも着替えないで病院内をウロウロ。
ダンナの携帯と実家に電話した。
看護士さんから術後のウォーターピックの使い方や薬の飲み方(水で溶いて注射器に入れて歯の隙間から入れるなど)
そして、手術までの予定の説明を受けた。
当日必要な物で驚いたのがレジャーシート(術後、シーツの下に敷くらしい)。
予想外で慌てて売店に買いに行きました。ついでにT字帯も。
顔そりもするって書いてあったが、顔を見て必要ないからしなくていいと言われた。
夜19時半、主人同伴で手術の説明を受けた。
上下顎手術で、模型の骸骨で説明してもらい、吸収性のプレート、ネジを希望したが、上顎に関しては使えるかどうかは開けてみないと分からないと言われた。  
手術時間は朝の9時開始で5時間の予定。
もらった入院診療計画書には
病名 額変形症 
症状 下顎前突 
手術内容 上顎骨骨切り術 下顎矢状骨切り術 と書いてあった。

8月19日(入院2日目、手術日前日)

昨夜はなかなか寝付けず、朝も5時には目が覚めた。
朝、主治医のY先生が毎週火曜日は他の病院に行くことになっているので、今日の処置は他の先生に頼んでありますのでと挨拶に来られた。
午前中、業者の人が術後に顔を固定するベルトを売りに来た。
税込み7350円だった。
午後からお風呂に入った。
その後は電話したり雑誌を読んだりして時間をつぶす。
体は元気なので、とにかく退屈。
テレビを見る気もしないし。
夕方にS先生がプレート(シーネ)の調節とリンガルブラケットを3個外して歯石を取って下さった。
リンガルブラケットは入院前に食事してたら1個外れて、矯正歯科でも術前最後の処置の日に前歯2個を取って来たのだが執刀医のK先生の指示らしい。
前歯左右3個ずつ計6個外したことになる。
検温すると37度。
うそ〜!いつも35度台なのにぃ。
全然しんどくないのに変。緊張してるのかも・・・。
熱があると手術が延期になることがあるって聞いてたので不安。
夕食時、この顎で食べる最後だって思いながら完食。
チキンカツだったのでうれしかった。
当分、カツなんて食べられないだろうから。
食後、売店で買った龍角散のどあめをなめているとS先生が呼びに来られて、執刀医のK先生と医大の矯正担当のM先生がさっき合わせたシーネをつけて正中の確認をされた。
部屋に戻ると麻酔科のI先生が明日の説明に来て下さり、今日の21時と明日の朝7時に胃潰瘍の薬のアルタットを飲むように言われた。
I先生に「不安はありますか?」と聞かれたので熱があることを告げると「37度くらいなら大丈夫ですよ。緊張のせいでしょう。今晩はゆっくり休んで下さい。」
と言ってもらってホッとした。
優しい先生でよかった。
 消灯前、他の病院から戻られた主治医のY先生がまた診て下さった。
口の開きを測られて口が開くのが大きいと言われた。
とにかく不安なのでユーロジンという眠剤をもらって眠った。

8月20日(手術当日)

夜中2時に目が覚めて、
1時間おきに目が覚めたがうつらうつらしていたせいかぐっすり眠れた気がする。
心配していた生理が早まることはなかったようで一安心。
熱も下がっていたし。ここまで来るとまな板の上の鯉の気分。
主人が早く来てくれたので話していると気が紛れる。
なるようになるって思いながらも多少の不安がある。
でも、やっとここまで来たって感じ。
矯正を始めてから余計に受け口がひどくなり司会業をやる上では地獄の日々だった。
矯正の痛みも辛かったし。
自分で決めたことだからどうなっても私の責任だと思った。
「やった後悔よりやらない後悔の方がイヤ」が口癖の私を主人は分かってくれ、私の両親も説得してくれた。
「手術の結果、どうなっても○○は○○ですから」って。
 昨夜21時から絶飲食なので朝7時の薬は最低限の水で飲んだ。
まもなくY先生が熱の確認に来られ、点滴が始まり手術着に着替える。
8時半にトイレに行き、手術着を反対にかぶるように着替えた。
ベッドごとオペ室へ移動するのでベッドに横になった。
今日の夕方、どうしても外せない会議がある主人は遅くても16時には病院を出ないと会社に行けない。
所要時間5時間なら14時なので大丈夫やねって笑ってた。
オペ室の前までは主人も行けるので一緒にエレベーターに乗り込む。
お向かいのベッドのSさんが「頑張って下さい」と見送って下さった。
オペ室へ向かう途中、ベッドを押しながら看護士さんが「今朝、麻酔科のI先生が心配して熱が下がったか電話して来てくれたのよ」と教えてくれた。
そんな心遣いがすごくうれしかった。
全身麻酔は怖いけど(一生で3回までしか出来ないと思っていたくらいだったので)
I先生になら任せられるって思った。
オペ室の前に着くと主人とお別れ。
本当は泣きそうだったけど「いってくるね」って笑ってみせた。
私以上に彼の方が不安だと思ったから。
オペ室へはドアから入るものとばかり思っていたら窓のような高さの位置から台のような物が動いて背中からそれに乗り換えるような感じで寝たまま中へ。
ストレッチャーのような物に乗ったらそのままオペ室に運ばれる。
あのライトがある部屋だ。
10人程の人がいてみんな白衣やブルーの手術着を着てマスクをしているので誰が誰かよく分からない。
I先生が「お熱下がってよかったですね」と話しかけて来てくれた。
心電図を測る物や指先に血圧計などをつけられて帽子をかぶったまでは覚えているがその後は全く・・・・。

気がついたら病室に戻っていた。
でも、行く前と天井やカーテンの位置が違う。
違う部屋なのかと思っていたが周りから聞こえる声などは元の病室のような気がした。
そんな中、変な話、「私、生きてるんや」って思った。
でも、声も出せないし、動くことさえ出来ない。
幽体離脱みたいな感じで、周りのことは分かるけど私からは何も出来ない。
両頬を氷で冷やされていて、点滴をしているのは分かったが、思考能力ゼロ。
動く気も話す気も起こらない。
そんな中、自己血の残り400ミリを戻すように言ってるのが聞こえた。
いつ、手術が終わったのか、主人とは会えたのか、今は何時なのかも分からない。
母らしき人が側の椅子に座っているのは分かったが何故、母がいるのか分からない。
預けている子供は???
消灯の時間になったらしく「泊まって頂かなくて大丈夫です」と言われた母が帰る気配がする。
私は起きているのに「ありがとう」さえ告げることが出来ない。
私は大丈夫なんだろうか、本当に生きてるんだろうか?
バカなことを考えながら眠っているのか起きているのかも分からない。
痛みも何も感じない。

8月21日(入院4日目・手術日翌日)

痛みは全くないが、鼻がつまって息苦しい。
主人が7時頃、来てくれた。
今日から4日間、私に付き添う為に休暇を取ってくれている。
結局、手術は8時間かかったそうだ。
会社に行くのに間に合わないので母を呼んだらしい。
顎の固定はされていないので話すことは出来るんだけど、口を動かすのが怖い。
痛みは全然なし。
唇の腫れはすごいけど(傷もひどかった)顔はまだ腫れていない。
それに耳の聞こえが悪い。
ゴボゴボいったりするし、水の中にいるような聞こえ方がする。
8時になると食事が来た。
主人が「食べられるんか」と聞くが食べられる訳がない。
中身はおもゆ、具のない味噌汁、牛乳だった。
看護師さんが胃のチューブから胃を洗浄してくれ、胃の中にたまっていた血を吸い取ってくれるとスッキリした。
胃チューブの役目はそれで終わったみたいで鼻から抜いてくれ、続いて尿管を取り、トイレまで歩いて行くのについてきてくれた。
フラフラもしない。帝王切開の時と大違い。めちゃくちゃ楽♪
心配していたほどたいした事なかった胃チューブのせいかと思っていたけど、胃チューブを外しても鼻づまりと痰が多く、吸引してもらうと真っ赤で怖かった。
明らかに血液がほとんど。
10時頃に朝の処置があり、消毒をしてもらった後、顎間固定する。
「点滴から眠くなる薬を入れますよ。」と言われたら記憶なし。
起こされると固定されていた。
もちろん、痛みは全くない。
固定されると顎が動かないのでビクビクしなくていいので安心したが、全然、話が出来なくなった。
いっこく堂みたいにしゃべろうと思っていたのにシーネのせいで声にならずハミング状態。
筆談に切り替えた。
唇用にゲンタシン軟膏をもらう。
午後からレントゲン撮影に行って下さいってことだったけど、外来が混んでいたのか呼ばれなかった。
薬は自分で水で溶いて飲むと思っていたら毎食後、看護士さんが注射器に溶いた物を注射器に入れて持って来てくれた。
唇が腫れているし、痛いので飲むのも一苦労。
紫がかった怪しい色で飲むのをためらう。
後でこの色は胃薬の色であることを知る。
飲んでいた薬はロキソニン細粒、マーズレンS顆粒の混合。

8月22日(入院5日目・手術後2日)

夜は息苦しくなかなか眠れない。
寝てもすぐに目が覚めてしまう。
今朝からウォーターピックを使用し始めた。
本当は昨日から使うはずだったんだけど、怖くって・・・。
縫った所を直撃したりして痛かった。
鏡がないのでやり辛い。
お昼前、昨日撮れなかったレントゲンを撮りに行く。
主人がいるので話をしなくてもいいのでついて来てもらってよかったと思う。
お昼を食べて(飲んで)ベッドを起こしてもらって、うつらうつらしていると処置室に呼ばれた。
朝の処置はしてもらったのにぃ・・・と眠いのもあって文句タラタラって感じで行く。
Y先生だけかと思いきや、執刀医のK先生、矯正のM先生もいる。
あれ〜??と思いながら言われるままに口の中を見てもらう。
でも、様子がヘン。
いつもと違う雰囲気。
口の中を探るって表現がぴったりな診方。
一通り診た後、「とりあえず、一旦、病室へ戻っていて下さい。」と言われ"一旦ってどーいうこと??"と思いながら部屋へ。
後ろでY先生が「病室にご主人もいらっしゃってます」らしき発言。
ますます不安が募る。
部屋に戻ると主人に筆談でヘンだと思った理由を書いて説明するが、「何もおかしい訳ないやろ。おかしかったら固定なんてしないやろ」と全く取り合ってくれない。
それでも私はあーだ、こーだと筆談で訴え続けているとY先生とK先生が部屋に来た。
「ご主人も一緒にカンファレン室へお願いします」主人が驚いたように私を見た。
「だから言ってるやんか〜」と言う目で主人をにらむ。
にらむ必要があったかは分からないけど私のイヤな予感が当たってしまったので八つ当たり。
頭の中で"病室ではなくわざわざカンファレン室まで行ってする話って何〜??"
K先生を先頭に主人、私、Y先生で廊下を移動していたので、不安げに振り返ってY先生を見たが緊張した面持ち。
いつもの先生じゃない〜。
手術が失敗したの〜??
絶対にそうなんだ〜と絶望のどん底に落とされた気分だった。
カンファレン室に入ると手術の説明を受けた時と同じ椅子に座る。
K先生の後ろにはレントゲンが貼ってある。
私の写真らしきものが3枚。
これって今日撮ったものよねと思いながら見ると"ん?左顎のあたりに何か写ってる"と思った瞬間、K先生が話を切り出した。
「これは今日撮ったレントゲンですが、ここを見てください」と左顎のあたりを指す。
「レントゲンの傷あるいは光が入ったのかと思いましたが、3枚とも同じ位置に写っていますので傷などではありません。
明らかに体内にある物です。」この形、見覚えがあるんだけど・・・。
「ブラケットに間違いありません。先程、確認致しましたが表側はすべてついていますので奥さんは裏側で矯正をされていましたので恐らく手術中に裏側の1つが落ちた物だと思われます。通常でしたらプレート除去の時に取れば問題ありませんが、吸収性のをお使い頂いていますのでこの先、あけることはありませんのでそれを取る為に再度、手術をさせて頂きたいと考えております。31日の退院をご希望ですので早いうちがよろしいかと。25日の月曜日に緊急オペでおとりしますので全身麻酔による手術をさせて下さい。」と一気に説明された。
一瞬、私は夢を見てるのかと思ったくらい。
私は私で手術ミスではなかったことだけで全然、問題なかった。
全身麻酔がよくないと思い込んでいる主人は局所麻酔じゃダメなのかとか食い下がっていたが、K先生は「場所は特定出来ていますし、局所麻酔でも可能ですが、万が一のことを考えまして全身麻酔で」と言われていた。
25日は朝イチで予定手術が入っているので終わり次第になるから時間は未定とのこと。
部屋に戻ると「このまま入れててもいいんじゃない」とか「あれだけリンガルブラケットを外しておいたのに残りの1個が落ちるなんて厄年のせいかな」とか筆談しまくり。
主人は医療ミスじゃないのかと怒っていた。
K先生はこんなことは初めてらしくすっごく落ち込んでいたように見えたので悪いことしちゃったなぁと書くと主人は「そんな心配したらんでいい」と言うが口止めはされていないけどこのことは黙っていた方がいいのかな?
今は話が出来ないけど、
出来るようになって同じ部屋の人から聞かれたらどうしたらいいの?
とかそんなことばかり考えてた。
今日から吸引の方法を教えてもらい、自分で吸えることに。
いつでも、少しでも好きな時に吸えるのはうれしい。
歯が固定されてしまったので鼻からカテーテルを入れるんだけど喉まで入れると涙が出て来る。
でも、そこまで行かないとスッキリしないので慎重に進める。
主人には私が吸引始めたら話しかけないでと言い、ひたすら吸引に集中する。
「第一コーナーを曲がって直線に入りました」ってF1さながら自分の中で実況中継しながらカテーテルを進める。
もう、やみつき。
耳の聞こえが悪いのでテレビを見ても聞こえが悪いのでイライラしてしまって面白くなく、退屈していたのですっごくいい暇つぶしを見つけた気分。
上手く吸えたらすっきりするし一石二鳥。
おまけに25日の手術のことも忘れて熱中出来るし。

8月23日(入院6日目・術後3日目)

昨夜も鼻が詰まって眠れず。
ベッドを起こしたまま座りながら寝る。
顎に力がかからないようにそーっと頭を動かしたりで疲れる。
目が覚めてはベストポジションを探しながら眠れる位置を探す。
自宅で使っているテンピュール枕が恋しい。
4時頃、トイレにでも行こうかなと思い、トイレへ。
普段は一度寝たら朝まで熟睡タイプなので夜中にトイレに行くなんて考えられないなぁと思いつつ、手を洗う時に鏡を見る。
「ゲッ。誰これ?」おばけでも見たような恐怖。
思わず頬にてを当てると鏡の中でも頬に手が・・・。
ひょっとして、私なん?
コンタクトも眼鏡もしていないのでぼや〜っとしか見えないが鏡の中に写っているのは間違いなく私。
なんなの〜この顔。
いやだ〜って叫びたくなる程の顔。
今までは唇だけだったのに
顔全体がこれでもか〜って言うくらいパンパンに腫れていて人相が違う。
涙が出て来た。
当然、鏡の中の私も涙を流している。
"あんたが泣くことないやん。その顔を見て私は泣いてるんよ"と鏡の中の私に怒っていた。
覚悟はしていたけどまさかこれほど腫れるとは・・・。
手術をしたことを後悔した。
 ベッドに戻っても眠る気もしない。
恐る恐る手鏡を手に取る。
やっぱり私だ。
怖い物みたさに眼鏡をかけようとするが・・・かけられない。
顔の固定のベルトがくい込んでいる。
顔との間に指を入れたら形がついている。
唯一の救いは肌がつるつる。
毛穴もない。
皮膚が破れてしまうのではと思うくらいパンパン。
今にも割れそうな程にまで膨らんだ風船を想像してしまった。
これってしぼんだらどうなるん?
膨らみきったぶよぶよの風船がしぼんだみたいに悲惨なのかなぁ・・・。
 今日から薬を自分で管理。
まとめて渡された。
顔が腫れているので吸引する時にカテーテルが上手く入らなくてイライラ。
仕方なく手前だけ吸う。
鼻がつまって苦しいと訴えると「コールタイジンスプレー」という点鼻薬を出してくれた。
鼻の中につっこんでシュって押し出す薬なんだけど効いてるのか効いていないのか分からない。
吸引のように目に見えて効果がないのでガッカリした。
ま、ないよりはマシかな。
夜、眠れない分、昼間にウトウトする毎日。
この昼寝が悪いのかも知れないけど、眠くて仕方ない。
痛みは薬で抑えられてるのか全くないんだけど。
とにかくこの顔、ショックが大き過ぎる。
主人もあえて顔の話には触れないけど、その気の使いようがシャクにさわる。
変な顔〜って笑ってもらった方がいい。
目が開きずらいので視界も狭くコンタクトも眼鏡もダメなので、本を読んだりも出来ない。
起きてたら気になるし、寝ているのが一番いい。
トイレに行くのも人と顔を合わせるのがすっごく苦痛だったけど、どうせ私だって分からないんだからって思ったら、ほんの少し気が楽になった。
でも、売店に行く勇気はない。

8月24日(入院7日目・術後4日目)

毎週日曜日は体重測定の日だと言われたので主人が来てから詰め所前まで測りに行く。
ゲッ!体重が全然減っていない。
入院前に増やした2キロまでそのまま。
ショック〜。
あんなにしんどいめして、食事もロクに食べてないのに(飲んでないのに)、おやつだって全然、食べてないのにぃ〜。
この顔のせいじゃないかと思うほど。
恐るべし点滴。
しばらくすると伯父と伯母が来てくれた。
点滴をしていたので心配そうだったが(多分、この顔を見て腰抜かす程、驚いたに違いない!)点滴が終わると普通に座ったり、歩いたり出来るのが分かって安心したみたい。
主人の休暇が今日までなので、明日、また手術の為に来てもらうことになっていたので、わざわざ来てもらって申し訳なかった。

夜、手術の為に顎間固定を外すことになった。
K先生は「一週間で外すところもあるから大丈夫でしょう」って矯正担当のM先生と話していたが、
私はまだ3日しか固定していないので外しても本当に大丈夫なのかすっごく不安だった。
外したら右の頬に激痛!痛い、痛いと叫んでいた記憶があるが、この後はどうなったのか覚えていない。

8月25日(入院8日目・術後5日目)

10時半頃、点滴開始。
手の甲から入れるので痛かった。
毎回、点滴や血液検査などは看護士じゃなくてドクターがすることになっている。
でも、ここの先生達って針を入れた後、皮膚の上から針を動かすのよね。
その感触がすっごく嫌〜。
もともと注射とかが嫌いなので「点滴します」ってベッドに近づいて来られる時点で緊張してしまう。
早めに手をぎゅって握ってしまうので毎回「まだいいですよ〜」と笑われていた。
「チクってしますよ」って言われるんだけど私にとってはブスリって感じ。
ま、自己血の採血用の針に比べたらかわいいもんなんだけど・・・。
 11時頃、伯父夫婦が到着。
再度、執刀医のK先生に手術説明をしてもらいに行った。
Y先生が私に「どうしますか?」って聞いてくれたけど、私は朝に飲んだ痛み止めが切れてきているせいか痛みを感じ始めていたのでそれどころではない。
「行きません」と答えた。
説明が終わり、病室に戻って来たので、今、手術している人が終わらないと始まらないので先に食事してくれるように頼む。
昨日は話せなかったが今日はこわごわながらも話が出来る。
ポタポタ落ちる点滴を見ながら時間が経つのを待つ。
だんだん痛くなって来た。
「いつもの薬が飲みたい」と言ったけど、「座薬しか入れることが出来ない」と言われ、入れてもらうが全然効かない。
ズキズキしていた痛みがズキンズキンに変わって来る。
早く取るなら取ってよ!痛い、痛いとうわごとのように言ってたらしい。
13時過ぎ、ようやくオペ室が開き私の番が来た。
長かった〜。痛みは絶頂。
前回と同じようにベッドごと移動するのだけど、ベッドの振動さえ痛くてたまらない。
Y先生が「ちょっと動きますよ」とか教えてくれるのだが、教えてもらっても痛いものは痛い。
涙があふれて止まらない。
右手で右頬を押さえて上を向いている状態なので目を涙で洗ってるって感じで目を開いても涙で何も見えないほど。
痛みには相当強い私だけど今回は号泣した。
伯母がオペ室前までついて来てくれて涙をハンカチで押さえてくれるんだけど、押さえても押さえてもあふれ出す涙をふけなかったようだ。
  
オペ室に入り、痛くって帽子をかぶることさえ自分で出来ず、かぶせてもらう。
前回の麻酔のI先生ではなく、なんか頼りなさそうな人で余計に不安になる。
今回は麻酔の方法も違い、何かスプレーみたいな物を口の中に入れられて、それを吸うのだが、右頬が痛くて上手に吸えず、「まだ起きてます」とばかり言っていたような気がする。
そのうち意識がなくなった。
今回はオペ室から出る時に意識があり、「除去じたいは10分もかからなかったなぁ」と話しているのが聞こえた。
でも、3時間程かかったみたいで、その間にオペ室でレントゲンを取って除去出来たのと骨に異常がないか確認して下さって大丈夫とのこと。
伯父夫婦に「もう大丈夫やから帰ってくれていいよ」って言ったのに結局、主人が来るまでいてくれた。
主人が帰って来たのを見てそのまま眠ってしまったみたい。
1回目の手術の後よりずいぶん楽。
慣れかな?
呼吸も楽だと思ったら酸素マスクをしてもらってたし、口からも息をしているようで、ここ何日かの夜よりは眠れた。

8月26日(入院9日目)

夜中に何度も目が覚めた気がしたが、以前のように息苦しくないので目が覚めてもまた寝て・・・を繰り返していたが、とうとう右頬に痛みが・・・。
ナースコールをしようとしたがどうせまたあの効かない座薬を入れてもらうだけなら朝まで我慢していつもの薬を飲む方がいいと思った。
ズキズキするが息苦しくないので、ずーっと朝になるのを待ち続けた。
6時になり看護士さんが回って来てくれた時、Y先生も来てくれた。
「ずーっと痛かった」と言うと「僕、いたから痛み止めあげられたのに。」と申し訳なさそうに言って、手動でベッドを起こして下さった。
看護士さんに「痛み止めを・・・」と言ってくれるが、この病室では私は3番手、4番手なのでなかなか私にまで手が回らないのだ。
仕方なく先生が自分で薬を取りに行き、水で溶いて持って来てくれたが飲ませてくれようとすると看護士さんに「そのままじゃ気持ち悪いと思いますから飲めませんよ。うがいしてもらわないと」と言われて先生オロオロ。
慣れない手つきで水のみで水を飲ませてくれ、受けてくれるが上手くうがいが出来ない。
私も痛くてその後、どうやって薬を飲んだのか覚えていない。
Y先生が他の病院に行く日だったので「看護士さんに薬を指示してあるから痛くなったら我慢しないでナースコールして下さい」と言いに来て下さったのをかすかに覚えている。
朝食も食べず、着替える気さえ起こらずにずーっと眠っていた。
ふと生理5日目だったことを思い出し、ショーツをはいてパジャマのズボンだけを着替えた。
しばらくして看護士さんが体をふいて点滴をくぐらせ着替えを手伝ってくれた。
尿管もとってくれた。
ぼーっとしていたら顎を固定するのに処置室に呼ばれ、また前回同様、点滴に眠くなる薬を入れられたら意識なし。
A先生に「終わりましたよ」って起こされて病室に戻るがそのまま爆睡。
13時半頃、看護士さんに起こされると気分がすっきりしていて元気になっていた。
昼食もたいらげる。
トイレに行ったかどうか聞かれたのでおしっこに行く。
洗面所で手を洗って何気なく鏡を見ると顔の腫れが引いてる〜!!
うれしい。生まれ変わったみたい。
夕方、弟と義理の妹がお見舞いに来てくれて今朝までのことが嘘のように筆談しまくる。
昨日撮ったのにまたレントゲンを撮りに行くよう指示される。
弟達もついて来てくれた。
移動する足取りも軽く、自分でも驚く程、元気になっていた。
夜の処置の時に続けて手術をしたせいか、唇に口唇ヘルペスが出来ていたのでソビックス軟膏をもらった。

夜、Y先生が戻り、様子を見に来て下さったのだが、私を見る先生の顔!あまりに元気になっていたので本当に驚かれたみたい。
「痛みは?」「大丈夫?」「なんか表情まで本当に元気そうで・・・」とあっけにとられて帰って行った。
顎を固定してもらったら自分でも驚く程、元気になった。痛みもない!
K先生とM先生がわざわざ様子を見に来て下さったのだが、点滴中だったので笑顔で手を振った。

8月27日(入院10日目)

二回目の手術以来、見違えるように元気になって来た。
顔の腫れがおさまって来たせいか鼻づまりもなくなり夜もぐっすり眠れるようになった。
看護士さんも「顔の腫れ、マシになってきたね」と言ってくれる。
それに秘密にしているとばかり思っていたのに、来る看護士さんみんなが「しんどい思いを二回もさせてごめんね。大丈夫?」とか、人目をはばからず言ってくれるので私の方がいいのかなぁって思ってしまう。
午前中、体を拭くタオルをもって来てもらった時、ついでに水のいらないシャンプーで髪を拭く。
毎日、ホカホカのタオルで体を拭けるのでそんなに気にならなかったが(余裕もなかった)元気になってきたらお風呂に入りたくなって来た。

昼食後、K先生が呼びに来られてカンファレン室へ。
もう何を聞いても驚かないので足取りも軽い。
言われるとしたら退院の延期かな〜くらいの気持ちで行くと支払いのことだった。
「二回目の手術にかかった費用はすべて病院で持たせてもらいます。
手術関連のレントゲン代や点滴費用などすべてです。
ですが、それで被った精神的慰謝料とかは勘弁して下さい」とのことだった。
はなからそんな気は全くなかったので了承した。
病院としては立ち会った伯父が市会議員だったことでもしかしてと思ったのかも知れないが・・・。
15時過ぎ、教授回診があり、あることさえ知らなかった、全く初めての私は訳が分からなくてドキドキしていた。
ぞろぞろと教授を先頭に病室に入りきれないくらいの学生が来た。
K先生がカーテンの隙間から私を覗いて手を振ってくれる。
Y先生はどうしたんだろうって思っていたら、レントゲンとカルテをかかえたY先生が来てくれ、今まで手術だったので事前に説明出来なかったことを謝って下さった。
右端のベッドから順に回ってくるみたいで私は5番目だった。
その間、Y先生が「ほんと、昨日はびっくりしましたよ。
看護婦さんに朝、着替えるのもしんどそうだったって聞いてたし。
心配して帰って来たらすごく元気になってるんやもん」って言われた。
ごめんなさいって頭を下げた。 
教授にも「トラブルがあって申し訳ありませんでしたが順調なので大丈夫ですよ」と言われた。
私から言うと教授よりはるかにK先生の方が教授らしく見える。
主人にも「K先生って自宅に帰ったらガウン着てブランデーグラス片手に持ってるって感じよね」と言ったら大うけした。
 夜の点滴の時にY先生が「退院が31日だと固定したまま帰ることになりますよ。
14日固定ですから外すのは9月5日の外来でになりますから」って言われてびっくり。
私は外してもらえるものだとばかり思っていたから。
「ちょっと考えさせて下さい。」って書いたら「僕が退院の日を決めることは出来ませんので、K先生に言わないと。
でも、現状では31日の退院で予定が組まれていますから。
延ばせるかどうかはベッドのこともありますし、変更出来るかどうかもK先生に聞かないと」と言われた。
そんなんだったらもっと早く教えてくれたらいいのにって思った。
消灯前に年配の看護士さんにも(婦長さんの次に偉いみたい)「小さいお子さんがいらっしゃって気になるのは分かるけど、顎間固定をしたまま帰ることになると、もしもの時にはさみで自分の手でワイヤーを切ることになったりするから、ご主人やご両親と相談なさってもう少し入院されていた方がいいと思いますよ。あまりにも早すぎますから。」と言われとても不安になった。

8月28日(入院11日目)

朝から頭が痛かったので熱を測ると37.5度あった。
処置の担当がY先生だったので「今日、ご主人が来られたら退院のこと話し合って下さいね。」と言われたのでうなづくと「今日は元気ないですね。痛みますか?」と気づかれたみたいで、頭が痛いとゼスチャーで答える。
「ひどかったら、看護婦さんに氷枕もらって下さいね」と言われた。
主人が来て昨日の夜の話をすると残暑が厳しいこともあり体調が整うまで入院してていいと言ってくれたが二学期が始まるので実家に預けてはいられないし。
悩むところ。
午後になって看護士さんが「熱がなかったらシャワーを浴びてもらってもいいって先生がおっしゃってますが、熱はどうですか」と問診に来られた。
熱はあったけど、もう下がったみたいなので入りますと答えシャワーを浴びる。
すっご〜く気持ちがいい。
髪を5回くらい洗ったらようやくスッキリした。
大好きなバラのボディシャンプーで体を洗うといつもの自分に戻れた気がした。
主人がアイスクリームを買ってくれるというので看護士さんにOKをもらって売店へ。
ハーゲンダッツが食べたかったのに売店にはなく「AYA」のバニラを買った。
でも、ワイヤーの隙間から上手く食べることが出来ず、冷たいエンシュアのようでがっかり。
やっぱりアイスクリームは舌の上で溶かして食べてこそ美味しいんだって実感。
 夜の処置の時にK先生に「退院を7日にしたい」と書いたら「31日の退院に向けて準備しているよ。
明日、固定も外す予定で25日に除去手術をしたからね。
その時に歯がちゃんと噛み合うかも確認してるから大丈夫。
予定通り退院できるからね」と言われた。
「顎間固定は14日しないとダメなんでしょう」って書いたら「人によります。外しても大丈夫だから」と。
今日、主人と9月1日から7日までの予定を考えていたのが無駄になった。

8月29日(入院12日目)

朝、Y先生が来られたので「昨日、主人と話し合いして7日に退院したいってK先生に言ったら今日、固定を外すので31日に退院出来るって言われました」って書いたら「そうなんですか。今日、昼から僕いないんですけど」とのこと「14日間、固定しなくても大丈夫?」って書いたら「K先生がおっしゃるなら大丈夫でしょう」って。
私は先生の意見が聞きたかったのに・・・ま、仕方ないか。
午後、子供たちを連れて母が面会に来てくれた。
いきなりで驚いたけど、今日、固定が外れると主人が連絡していたようで話せると思って連れて来たようだ。
しばらく見ない間にすごく大きくなった気がした。
話せない私を見てとまどっていたが、筆談ボードにひらがなで書くと話が出来た。
母は医療ミスにこだわっていて、そんなに早く退院させようとするのは先生が一日も早く退院して欲しいからだって言い張る。
若い先生も看護婦さんもそー思っているから退院を延ばした方がいいって言ってくれてると言う。
確かに同室の13日に下顎だけの手術をした人は当初、24日の退院を希望していたが30日になり、結局、31日になった。
上下顎の手術をしている私はもう少しいた方がいい気もする。
でも、この程度は医療ミスではないと思う。
本当に運が悪かったとしか言えない。
誰の責任でもない気がしていた私は先生はそんなことを思うはずがない。
むしろ、二回目の手術で私の退院の希望が延びることだけはやめたいと思って下さっていると思う。
面会室で母と話をしているとちょうどK先生が通りかかり母に挨拶をした上で「ベッドはどうにでもなりますから、退院日は固定を外した後に決めて下さって結構です」とおっしゃった。
それを聞いた母はまた「追い出したってことになったらマズイと思ってあんたに選択権を譲ったんよ」と言う。
母は手術を許可したことを単身赴任中の父にさんざん叱られたようで、先生の言うことはすべて悪くしか取れないようだった。
私が親だったら娘にしなくてもいい手術をさせて!
と同じ気持ちになったかも知れないので母の気持ちも分かるけど・・・。
 夜、固定を外したら予想どおり右頬に激痛が。
涙があふれ出て止まらない。
しばらく処置室で経過を見ていたが痛みは治まらないのでゴム固定(8番)をしたが変わらず、病室に戻ることにした。
夕食後、いつもの薬は飲んでいたが痛みが止まらないので前にY先生が出して下さっていたボルタレンを服用した。
消灯時間まで何度もK先生が様子を見に来て下さったが痛みがおさまらず。
結局、31日の退院はキャンセルした。
消灯後、薬が切れはじめると痛み出すので目が覚めた1時にまたボルタレンを服用。
その後、5時にも服用した。

8月30日(入院13日目)

朝7時頃、起きていつもの痛み止めだけ飲んだ。
頭がふらふらして食事をする気にもなれずただただ眠る。
体を拭く気にもお風呂にも入る気にもなれず着替えもしなかった。
昼食も食べず、薬だけはきちんと飲んでず〜っと眠った。
途中、看護士さんやK先生が様子を見に来てくれた記憶があるが何を話したのかさえ覚えていない。
ただ、朝の処置でK先生が「骨には全く異常がないので痛みの原因は分からない。」とのこと。
ゴム換えも先生二人で四苦八苦していたのはぼんやり覚えている。
夕食が来て看護士さんが「脱水症状になるから何か少しだけでも飲んで。出ないとまた点滴をしないとダメよ」と言うので夕食についていた野菜ジュースと牛乳を飲んだ。
ちょっと元気になった。

夜の処置で、初めて担当して下さった金縁の眼鏡をかけた先生が「この唇は痛いよね。かわいそうに。ソルコセリル軟膏出すから塗ってね。すごくよく効くから。」って。
周りにいる先生に「口腔用はまだ日本未認可で韓国とかに行ったらみんな1ダースとかまとめて買って来るほどですよ。インプラントの患者さんとかによく効くんですよ」って説明していた。
そして私の右頬の痛みを「骨の異常じゃないから大丈夫。顎関節の痛みだから安心して。時々、この手術をした人で同じ痛みを訴える人がいるからね。唇もこの軟膏でよくなるからね」と言ってくれた。
私はこの言葉を聞きたかったんだ。
原因が不明よりも顎関節の痛み。
すっご〜く安心した。
唇さえ治ったらゴムかけを頑張って、早くお家に帰ろう。
帰れないことを泣いているより一日も早くかえらなくては・・・と決心した。
私も心のどこかでK先生のことを疑っていたのかも知れないと思った。
不安が猜疑心に変わっていたのかも。

8月31日(入院14日目)

昨日は日中、薬の飲みすぎで頭がぼぉーっとして、体中がダルかったので今日は痛み止めしか飲まないことにした。
昨日、あれだけ昼寝?をしていたのに結構、眠れた。
体重測定でマイナス3キロ。一週間で3キロ痩せた。
今日は体を拭いてパジャマを着替えて洗濯した。
明日はお風呂に入るぞ!
同室の下顎だけの手術をした人が退院していくのをうらやましく思っていた。
結局、彼女とは全く話も出来なかったな。

15時頃、眠くなり昼寝。一時間程、眠っていた。
体重が減っていたのに気分をよくしておやつに売店でヨーグルトを買って食べようと思っていたので慌てる。
売店の閉店時間を気にしながら行くとまだ開いてた。
ヨーグルトはスプーンで食べようと思っていたが上手く食べられず、ストローで吸った。
これならジョアでもよかったな〜と思うがやっぱりヨーグルトを食べることに意義があると一人で納得した。

夕食はおもゆ、スープ、ミックスジュース、豆乳、エンシュア。
豆乳はパスなので100キロカロリーマイナス。
エンシュアは半分で125キロカロリーマイナス。
迷ったけどミックスジュースは美味しかったので全部飲んだ。
 
夜の処置も消毒だけ。
ゴムを外されるのでは・・・とドキドキしたが大丈夫だった。
担当の先生二人も唇の痛みを気遣って下さるのがうれしかった。
多分、K先生以外は泣かれるのが怖くて誰もゴムを外せないんだろうなって思ってしまうほど私はよく泣いていたからな〜。
痛みもないのでそのまま自宅へ電話。
明日から新学期なので準備が気になる。
主人と母とで乗り切ってくれるらしい。
自宅までの母送迎を出来る限り弟といとこでしてくれるそうだ。
仕事でダメな日は申し訳ないが電車で通って来てもらう。
子供の面倒さえ見てもらったら私と主人で大丈夫って言い切って手術を決めたのに結局、みんなを巻き込んで迷惑をかけてしまうことになった。
ホント申し訳なかった。
早く回復してお役にたたねば。

消灯前、退院を延ばしたと聞いたY先生が病室に。
「痛みがあって退院出来なかった」と言うと前回、固定を外した時に痛いと言っていた所はちょうど切った骨の上あたりだったので心配したが、今回は耳の横らへんだから骨には関係ないから大丈夫ですと教えてくれた。
自分ではあの時、どこが痛かったのか全く覚えていないが(場所どころか記憶さえ曖昧になっているほど)、今、聞くと怖かった〜。
Y先生は退院を延ばしてよかったと言ってくれた。
退院までに食事もだんだんならしていきましょうって。

9月1日(入院15日目)

今日は朝5時まで一度も目が覚めなかった。
朝の痛み止めを飲んだ。
朝の処置で左の上唇の裏が痛いと訴えた。
どうやらゴムがあたるようだ。
左の上唇の表側と上顎は麻痺状態で全く分からないのに、裏側だけはしっかり感覚があるみたい。
ワックスをつけてもらう。
上顎の抜糸をA先生がしてくれた。
お風呂に入るのを待っているとK先生が通りかかり「今晩、ゴムを外してみるからね」と言われた。
昨日一日、交換してないから仕方ないけど、また痛んだらどうしよう・・。
でも、痛くなかったら帰れるから頑張ろう!
昼食は美味しくない葛湯が出ていたので迷わず残す。
エンシュアも半分。
ここ2,3日スープの味が濃いような気がする。
14時頃、K先生ではなくY先生が来られて「ゴムを外してみましょう」って呼びに来られた。
K先生の指示みたい。
夜って言ってたのに。
処置室でイスに座ったままで先生が慎重に外してくれた。
「外しましたよ」「え?うそ、痛くない〜!!これで退院出来る〜?」と大喜び。
「喜び過ぎで無理しないで」と言われてしまった。
痛みがないのを確認したらまたゴムをかけられた。
夜の処置の時にゴムを自分で外して消毒後、また自分でつけることになった。
かわいいコアラのエラスティックホルダーをもらった。
コアラちゃんはとてもかわいいが、この間はK先生とM先生が二人がかりでかけ、そして今日はY先生が汗びっしょりになってかけてくれたゴムを私一人でかけることが出来るのか・・・?
先生に言うと「僕は汗っかきなんで」と笑ってた。
「でも、かけられないと退院出来ないですよ」と言われた。
そうだ、頑張らねば。
部屋に戻ってゴムかけの位置を鏡で確認し、絵を描いて覚える。
夕食後、処置の前にゴムを外していると余りに遅いのでY先生が見に来てくれた。
どうにか外せて処置をしてもらったらK先生とM先生が診て下さった。
M先生が噛み合わせを見て下さり、せっかく覚えたのにM先生の新作に変更になった。
ゴムも10ミリになり、きつきつの固定じゃないので怖い〜。

長々と書いてしまいましたが、これ以上は読んでもらうのもお気の毒なので・・・・。
私は結局、7日に退院しました。
この後は最初40分もかかったゴムかけが10分まで短縮し、食事も四苦八苦しながら離乳食で言うならごっくん期からもぐもぐ期までにならしてもらい万全の状態で自宅に戻りました。
最後の一週間は同室の5人の方(年齢も50歳〜75歳までとバラバラでした)とも仲良くなれ、最後は涙で見送ってもらいました。

二度目の手術のことを書こうか書かないでおこうかと随分、迷ったのですが、口止めもされていなかったので正直に書きました。
K先生はお休みの日曜日以外、毎日、どんなに遅くなっても診に来て下さり、とても誠意を感じました。
そして自宅に戻って自分のドレッサーの三面鏡で横顔を見た時、本当に感激しました。
K先生にやってもらってよかったって心から思いました。
私には娘がいないので今後、この手の手術を肉親がすることはないと思いますが、子々孫々に対しては手術に反対すると思います。
でも、もし、私がもう一度するならば、絶対にK先生にお願いすると思います。
本当に想い描いていた理想の形でした。
不自然じゃない最高の仕上がりです。
噛み合わせも6週間たった今、全然、戻っていませんし。
主治医のY先生にもとても感謝しています。
まだまだ腫れも麻痺もありますが、少しずつマシになって来ています。
今もメチコバールとユベラを服用しています。

私の背中を押してくれたキャビン。さんをはじめ、サイトで知り合えた多くの皆さんにたくさんの勇気を頂きました。
今度は私の経験が少しでもこれから手術をする方のお役に立てたらなぁと思います。
辛いこともありましたが結果よければすべてよしです!
ご自分が信じた道を突き進んで下さいね。