公開日記-002(入院生活編)

このページは、リコさんの日記です。

6月20日(入院日)

いよいよ入院の朝。
昨日から子どもがとびひになりしばらく保育園もおやすみさせる。
だから今朝は二人でゆっくり朝ごはんを食べて、「ママは少しの間病院にいくからね・・・」と話をする。すごく甘えている。私もつらいよ。顔はとびひで痛々しい。
車に乗って実家へ連れて行く。
そしたら子どもが「○○(子どもの名前)、リコともう会えんの?リコはどこへいくの?
病院はどこなの?○○も一緒に行きたいよ」と言った。
この子は普段ママっていうのにたまにすごく甘えるときは私の名前を呼びすてにする。
ごめんね・・・早く帰るからね。ママの最後のわがまま聞いてね。
高速バスに乗って病院へ。
子供の事が気になってずっと考えてる。
バスのクーラーと病院のクーラーで鼻炎がひどくなった。
最悪・・・
病室は大部屋。まあ手術までまだ2日あるから・・・
M先生のところに呼ばれた。
まだ資料が届いてないらしく、いきなり「延長機をつけることも考えてください」と言われる。
延長機とは、骨にヒビをいれてその装置をつけて入院中に自分で口からでたネジを1ミリずつ動かして骨を広げるらしい。
それで骨が自然に延長されるらしい。
なんでもこの装置を作ったのが、この病院のM先生で、この使い方を全国の先生に教える指導者らしい。
ここにきてこのM先生がすごい人だと知った。
でもその延長機をつける事を私は聞いていなくて不安になる。
また除去手術を3ヵ月後くらいにしないといけないらしい。
焦ってきた・・・
そして麻酔科の先生にも、「鼻炎がひどいと術後呼吸困難になるよ」とびびらされ、「まあもう間に合わないから」とM先生にも呆れられる・・・
あー、大丈夫なのかな???

6月21日(入院1日目)

昨日は久しぶりによく寝た。
一人でこんなにゆっくりしたの久しぶり。
でも子どものこととか心配・・・
昨日渡された入院した人の日記のようなものが4冊ほどありみていた。
みんなつらいと書いてる。苦しいと。
でも3.4日すぎれば大丈夫って。
これをみたら全国からきている、北海道や東京(多かった)、関西、九州。
ここは四国なのにわざわざこのM先生にやってもらうために来ているんだ。
すごいなあ。
日本で3本の指に入るというのは本当みたい。
それに何人も口腔外科の患者さんがいる。若い子ばかり。
早速東京から来た子と仲良くなる。
その人は三回目らしい。
出っ歯の為上を引っ込めた上に上顎が小さいため延長機をつけて骨を広げるのをしたらしい。
そして2回目は除去手術。
今回はゴムかけをさぼってやらなくてよい下顎までやるはめになったそうです。
でもきれいな口元。昔が分からない。
ミキサー食の作り方を習った。

看護婦さんに観光にいったらと勧められ、一人で市内観光した。
夕方、病院に戻り延長機除去手術をした子の話を聞いた。
話してみると近所の子で同い年。
話もあって楽しい。いろんなことを教えてもらった。

6月22日(手術前日)

何か変な気分。
あんなに待ち焦がれていた手術なのに。怖くてやめようかと思ったり。
普通のかみ合わせになるんだ、この顔と今日で見納めかなあと。
思うけど、やっぱり怖いものは怖い。
また同じ歳の子の部屋にいきずーっと話をする。
不安でたまらない。
10時30分が手術開始だからそれまでに主人と母がきてくれるよう連絡をとる。
おいしいものいっぱい食べてねーというけど、なんかあんまり食べる気がしない。
普通に病院のごはんがおいしいと感じ、残さず食べる。
無事終わりますように・・・
麻酔から目覚めますように・・・
呼吸困難になりませんように・・・
延長機をつけなくていいように・・・・

6月23日(手術当日)

はっきりいってほとんど寝てない。
何度も起きてもう朝?って思っても時間はすぎていない。
6時半  かん腸(このとき生理になった、最悪・・・)
8時ごろ 最後に歯磨き。イソジンで再度洗う。
9時ごろ 手術着に着替える。手術用パンツをはいて。
9時半  主人到着。ここでトラブル発生!!延長機がもしかしたらつくかもって事を話したら突然、もうやめろといいだした。
看護士さんも焦る。「先生呼んで来い!!」と言い怒ってる。
私は多分つけないからと思って言わなかったけど、先生もこの朝になって、
「延長機は手術してみないとわかりません」なんていうもんだから主人も怒り出して。
先生から丁寧に説明を受け、95%つけませんというのをきいて私も一か八かの賭けだと思った。
10時過ぎ 納得して主人も一緒に手術室まで。
私は「怖いよー」の連発。
「大丈夫寝てる間に終わるから・・・」と看護士さんになだめられる。
みんなこんな気持ちだったのかなあ・・・キャビンさんも。
などとみんなの事が頭をよぎった。
いってきまーす!ってみんなに心の中で言いました。

手術室だあ・・・・周りを見渡す。皆さん優しい。
麻酔科の先生(平井堅似)が麻酔の点滴しまーすという。
いよいよだあああああああ・・・あれ??針が入らない。
手の甲なども刺すが一向に入らない。これってやめろって事??
とか思ったりして、みんながペチペチと腕を叩きだす。
やっと4回目に入った。
入っちゃったよ、もう私はまな板の上の鯉です。
酸素マスクをかぶせられる。
「お薬はいっていきまーす、リコさーん」と呼ばれるがなかなか意識はなくならない。
「私ききにくいんですよ」と先生にいいながら遠くなっていく。

******おやすみなさ・・・・い*******ZZZZ

「りこさーん」と呼ばれる。
すごく楽しい夢みていたような??
鼻からなんかが出てくるような感じで一瞬おえーってした。
朦朧とする意識の中、ストレッチャーに乗った私が動いてる。
ああ、終わったのか、と思ったらまた意識なし。
病室で先生の説明を受けているらしい、主人とお母さんの声が遠くで聞こえた。
先生が近くに来て、「リコさん、機械はいってないよ!!」という。
よかったああ\(~o~)/またそれで眠っていた。
なんとなく意識が戻った。が、い、いたい。いたいんです。
苦しさはない、のども痛くないし、鼻チューブもないから。
たんがからんで気持ち悪いので吸引してもらうと楽になった。
メモに痛い、痛いと書く。
主人も「しばらくは痛いって、我慢しなさい」というが、みんなあんまり痛くないっていってなかった??って思いながら。
痛み止めくださいとメモするが、さっきいれましたよって。
あんまり痛いので筋肉注射してもらった。
変わらない。あー痛い。が陣痛ほどじゃあない。
これくらい我慢できるよねー!!私、と言い聞かせるが、またなんともいえないこの感じ。
座薬入れてください、と書くと「血圧が低すぎ入れれません。我慢して」って。
えーん。
まあ仕方ないっか、息ができるだけでもね。
この間に母は帰ったらしい。ありがとうとメモしたんだけど。
目が開かないから・・・トイレにくのが面倒な私は尿管は楽チン。
でも生理が気になってしかたない。看護士さんにかえてもらった。恥ずかしい。
しばらくしてもう一回筋肉注射をしてもらった。
それがきつかったのか、すごいドキドキしだしてびくんびくんとなる。
でも寝れた。
主人が泊まってくれた。
みんなが書いた日記に夜中何度もナースコールしたとあったけど私は一度もしていない。
看護士さんが来たときに吸引してもらうくらい。
それは主人も覚悟して眠れないだろうと思っていたけど爆睡してた。

6月24日(手術翌日)

なんだか体が楽だ。昨日の痛みはあまりない。
個室に昨日から変わっていたらしい。
昨日見えなかった景色が見える。こんな部屋だったんだ。
手術のことを主人から聞く。
手術名 下顎枝垂直骨切術 
手術時間 1時間30分(麻酔含めると2時間20分)
右を8・5mm・左を3mm(左右非対称のため長さが違う)引っ込めて、全体を5mm少し左にふったそうです。
筋肉も神経もきってないのでこれから筋肉がもとにもどろうとしたりするし、骨はぶらぶらできりっぱなしなのでしっかりゴムかけしてくださいと。
最初はえらがはったようになりますが、私は片方がでっぱるので骨も削ったそうで、仕上げは丸くしています。
それがいまはぼこっとしているけどだんだん治ってきて目立ちません。との事。

尿管がはずれる。面倒な私はもっとあってもよかったけど・・・
たえず点滴。たんがからむ。吸引をしてもらうがなかなかとれない。
鼻からいれてとってもらうと楽になった。
それから寝たりぼーっとしたり、一度だけ座薬をいれてもらった。
が、それからあまり痛みはない。我慢できる。
レントゲンをとりにいった。しんどいよ、歩くの。それにみんな見る。
こんな顔バンドしてるし、すごいよね。子どもびびってるし。
主人が「アンパンマンみたいでみとれてるんだ」と笑いながら言う。
レントゲンの結果は異常なし。よかったあ。
これでずれていたらもう一回手術だって。
イソジンでうがいするように指導される。
それから主人は夕方のバスで帰った。
これからは私だけ。がんばらないと。
テレビも見る気になってきてつけてみていた。
夕方、口からの血抜きチューブがはずされた。
なんともいえない、へんな感じだよ。

6月25日(術後2日目)

よく眠れた。こんなに早く楽になれるなんて・・・
まあ、体はだるいけど、痛みは我慢できるし。早く治るようにがんばろう。
点滴がはずれて、今日の昼からミキサー食が始まった。
作り方を教えてもらったけど、うーん、いまいち。
ここには調理場のようなところにミキサーが4台、茶漉しや調味料などがある。
今までみんなが作ってきたから、他の患者さんも見慣れている。
「大変ねーがんばって」おばあさん達から言われる。
作るのに30分はかかってしまう。疲れて食べる気にもならない。
が、がんばって食べる。注射器を渡されそれで吸ってたべる。
案外食べれた。この調子で食べていく。
午後、口腔外科へ行ってワイヤーからゴムに変えた。
痛い、唇は晴れ上がってるし(でも意外ときれい、傷などはない)そこさわるから。
って何が痛いって上下の歯茎と唇の間くらいに釣り針のようなものが出てる。
そこにゴムかけする。それがグラグラしていたいし、怖いし。
みんなこんなのしてたかな??
先生曰く、これをすることによって歯についたフックだけのゴムだけなら歯に負担がかかり歯ぐきから歯が少し出てくるようになるらしくあまり歯のためによくないから、上下の骨にビスを入れてそれで固定することで歯にかかる負担をすくなくしているそうです。
でもねえ、これ痛いです。本当に。このとき初めて鏡でみた。
すごーい。上下変わってる!!普通のかみ合わせだあ(>_<)
でも、この釣り針みたいなの怖いよお・・・・
顔は腫れて腫れてすごい、アンパンマンどころじゃない。
今晩から自分で夜のゴムかけ開始。唇がいたくてなかなかできないよ。
この日しゃべれないけど、外来でこれから手術する子と話をしてくださいといったので説明をした。怖がってる。
そうよ、こんなに腫れまくってる顔で話してねえ・・・
でも、昔の私を見ているようだった。こうやって私も話を聞いたなあ。
怖いって不安になって、でも今はもう手術してる。不思議な感じがした。

6月26日(術後3日目)

かなり調子いい。
でも昨日子どもが、
「ママはいつ帰ってくるの?」と何度も主人に聞いたそうで、ブルーになる・・・
話もできないから電話できないし。ごめんね。
売店で子どもの好きなお菓子があり、大量にかってしまう。
いつ渡せるのかな??
朝晩は抗生剤の点滴。嫌だなあ。私すぐ入らなくなるから。
今のとこ大丈夫だけど、もう明日あたり入らない、多分。
ミキサーも口からすすって食べている。あんまりおいしくないけど食べないと。
体重はまったく変わっていない。
はあああ。なんでだろう??みんな痩せたっていってるのになあ。
午後に口腔外科で口を開ける練習をした。
早から??って思ったけど、まあやろう。でも怖い。
今、顎に衝撃があればどんな方向にもいくんだよね。
怖いよ。人ごみとか。ゆっくり手で押さえてやる。
痛い。なに?口あけれないよおお。何度か練習する。
痛い。慣れれば痛みもないというけどまだ3日だよ。
早いよお。痛いなあ。

6月27日(術後4日目)

昨日の開口訓練で夜中、耳の下あたりが痛く久しぶりに痛み止めをのんでみた。
べつに我慢できたけど・・・
ぐっすり眠った。
起きて昼間のゴムかけをする。だいぶ慣れてきたよ。うんうん。
またミキサー。あーおいしそうなおかゆ。このまま食べたいよ。
私は病院給食がだーいすき!!
入院暦10回以上だが、何が嬉しいってごはんの時間!
はっきりいって絶食で入院したとき以外私は今まで出されたものは残したことがない。
どんなにおなかいっぱいでも味付けがいまいちでも食べる。
特に、主婦になってからは他人が作ってくれるものが美味しくてたまらない。
それがミキサーになったから味は??、満腹感はすぐなくなるし・・・
だいっきらいな牛乳もカルシュウム取るためだ!!
妊娠中すらヨーグルトまでにしかしなかった私。
でも今回はミキサーに牛乳・みかんなど果物をいれたり、牛乳・プリンなどをいれて一気飲み。後は吐き気がくるけど我慢我慢・・・
早く骨がくっついて治りますように!!

午後、久しぶりのお風呂。気持ちよかったあ。
それから口腔外科で開口訓練。1ミリ開いた!!わずか1ミリだけど。
看護士さんに「月曜に今の3ミリから4ミリにゴムをかえるからこの週末がんばって開ける練習してね!そしたらもう退院だよ」と言われる。
俄然やる気になってきた。そうよ子供が待ってるもん。主人もがんばってくれてる。
それに口が開いたらおかゆもそのまま食べれる!!やるぞおお。
それから鏡に向かってひたすらやる。いたた・・(>_<)

あのお、もう今日の点滴でヤバイですよ。入らずコリコリ探してる。
「い・いたい。入った?」恐る恐る聞く。
なんとか入ったけど・・・明日は・・・ムリかなあ。
顔の腫れはすごく引いた。
片方がすっごく引いて、移動量の多かった方はまだ首辺りまですっごい腫れ。
「そうよね、こっちに比べて3倍近く移動量がちがうんだもんねえ・・・」
先生もそう言った。
顔が重い。これって内出血らしいですね。だんだん下がってくんだって。
顔が揺れるたび中の水分が揺れている感じ。二重顎だし。
私初めてだ。二重顎って。
どんなにふとっても二重顎にならなかった。
顔だけは太らなくてそれが歳とるにつれほほがそげていって細くなってきたんだ。
これもこの顎のせいだったらしい。
この顔をメールして親や友達にみせるとみんな「これがいい!!」と返ってくる。
ほんまかなあ??

6月28日(術後5日目)

昨日、あまり眠れず、朝寝坊していた。ひさしぶり。こんな時間。
おきたらご飯の時間になっていた。
今日はおかゆをなくなくやめて、たまった牛乳にバナナ・オレンジをいれてミックスジースにした。
それとお味噌汁となすの煮物のミキサー。
おいしかった。
でもおかゆがそのまま食べたくて仕方ない。
食いしん坊の私。たまらないよおお。

それから先生の診察。先生が「口どれくらいあく?」って聞いた。
「1ミリです」というと「もう、あける練習してる?退院させたいけど・・・」
えっ!!マジ、「がんばる先生!!どれくらいあけたらいい??」
って聞いたら、先生が私の顎を引っ張ってあけた。
「うああああああー」足をバタバタさせながら叫んだ。
「すごいすごい」と私。
先生が「ほらこんなに開くじゃない。練習するよ。もう子どもじゃないんだから」
すみません、先生。
「先生、いつ退院?」と聞いた。
「月曜に見てOKだったら火曜日ね、だから週末がんばってよ!
外出したかったらしいけど、今日は雨だし一日口あけて」って。
「はあーい」この先生はK先生。
有名なM先生のアシスタントで手術も立ち会ってくれた。
若い先生で話しやすい。
M先生は仕事で忙しいらしく、OP後担当はK先生。
いい先生だなあ。M先生は木曜から学会で留守らしい。
月曜会って見てもらってOKでるかなあ・・・

それから一日がんばった。
晩御飯はおかゆのおいそうな食感が欲しくて、思い切って口をあけて食べようと思った。
が・・・だめだ。
普通のスプーン1さじくらいを食べるのに20分くらいかかった。
だめ、もう限界。結局ミキサーにした。
でも久しぶりの食感(^O^)/おいしかった。
明日は子どもと主人、お母さん達が来る。わくわくしてる。
子どもに会いたい。早く明日にならないかなあ。

6月29日(術後6日)

今日は子どもと主人、両親、弟夫婦が観光がてら来てくれる。
嬉しくて朝早くから起きていた。
点滴がついに入らず何度も刺しなおし。もうやめてくれええ・・
ミキサー食も急いで食べて準備万端で待っていた。
お昼前にみんながきた。
子どもは初めびっくりして、すぐ私のところにこなかった。
はっきりいって顔引きつってたよ。
みんなが、「こわいこわい、マスクマスク」という。
そうだよねえ、この腫れた顔、ゴムは牙みたいだしね。
すっかりこれに慣れていたから・・・
急いでマスクすると「ママー」ってきて「お口なに入ってるの?」としきりに聞く。
あまり話せない私だが、一生懸命聞いてくれて、すっごく甘えていた。
それからみんなで外出した。
少し歩くだけでふらふらしてる。それに外は異常に暑い。
体力のなさを実感。
帰りに子どもに「ママはまだ病院だから、もう少しいい子でいてね」と言ったが、「イヤ!!一緒にいる」と言う。
だましながら主人と母が車に乗せようとしていた。
私は病室の窓から見ていた。
7階まで声が聞こえてる。「ママー」と泣いて暴れていた。
胸が痛い。
こめんね、早く帰るから・・・
この子なりに今までわがままも言わず我慢していたのが今日出たようだ。
今日家族にも言われたけど、私もここ最近気になってることがある。
口が閉じない。
やっぱり少し歯全体が出た感じで出っ歯で口が閉じないような感じ。
まだ上下のビスもありワックスつめてるせいもあるかもしれないが・・・
意識しないと口は閉じない。
麻痺もないのに。
このままかな?顔の腫れもあまり引かず、首と顔の境に肉がすごい。
長かった顎は短くなったから皮があまったのかな?
手術が終わったら終わったでいろんな不安が出てきた。
いつになったら腫れは引くの?
口は閉じるの?
いつになったら普通のご飯食べれるの?
後戻りが怖い。分かってたけど、不安が最近大きくなり悩んでいる。
手術が終わればもう後はこんなにつらくないと思った。
不安もないって・・・
でもそうじゃなかったよね。みんなマヒや腫れなどいろんなこと悩んでいたよね。
そうだったんだ、自分がここにきて改めて分かった。
手術は大きな通過点に過ぎず、これからゴールに向かってまだもうちょっとがんばらないといけないんだと分かった。

6月30日(術後7日目)

朝、K先生が部屋にきて、「どお?口開いてる?」って。
私「先生、もう点滴ないよね?口も開いてるし帰りたい」
K先生「そうやね、帰っていいよ。今日ゆるいゴムに変えてから明日帰る?」
私「やったあ!!でも先生私、腫れ引くの遅くない?」
K先生「薬のんでる?」
私「・・・は?聞いてないけど。もしかしてこれ?」
私が入院した日にイソジンのうがい薬と一緒に持ってきた粉薬があった。
これっていつからのむのかな?って分からずにいた。
K先生「これのんでないの?腫れが引く薬だよおお(T_T)」
私「ええええーだからかあ。どうりで引きが遅いって思ったよ。
私の後手術した子なんかもう普通だし」
K先生「まあ今から飲んでね」
そうだったのか、もっと早く聞けばよかったよ。
でも、昨日よりは少し引いたような・・・まあ焦らず気長にだよね。

午後、口腔外科で4ミリのゴムに変わったら、口が開きやすい。
これで晩御飯前からいってみようって思った。
今日は、おかゆ、茄子の煮物、スープ(ミキサー用)と大好きなクリームシチュー!!
おかゆはそのまま、煮物はミキサーして、クリームシチューは少しお湯を足してミキサー。
茶こしでこさずのんでみよう。
おかゆ・・・ああああおいしい(*^_^*)
ゴムをはずしてスプーンで前から入れた。
この食感!!
おいしい。そしてクリームシチューはドロドロで形はないがスプーンで口へ
んんんん・・・おいしい。幸せすぎる。やっぱりミキサーよりこっちがいい。
だんだん口も開きだしスプーンが口の中まで入ってきた。
結局1時間以上かかったけど、デザートのプリンを食べて完食!!
私は早いほうだ。もっとみんなミキサーなのに。
明日はいよいよ退院!!
家族や、両親、職場の人に迷惑かけた。早く家に帰ろう。

7月1日(術後8日目)

退院の日。朝、起きてまず鏡をみる。
昨日から飲み始めたくすりのせいか、また少し腫れが引いたように思う。
朝もおかゆをそのまま食べる。
おいしい。この味しったらミキサーしたくなくなる。
外来に呼ばれ最後のチェック。抜糸は帰ってからみたい。
K先生が病室に来て、これからの説明をしてくれた。
優しい先生だったな。
結局M先生とは会えなかった。忙しいみたい。
札幌であった学会から帰ってまたどこかへ行ったようです。
近いうちフランスの学会に行くそうだ。
私の行ってる矯正の先生と一緒に発表するらしい。

13時の高速バスで帰る。
準備をして病室の皆さんとさようならした。
30日に大部屋に変わったから。といっても手術前までいた部屋。
みんなおばあさんばかりだったけど、すごく優しくて孫のようにしてくれた。
手術前も「がんばれ!大丈夫!きれいになるから!!みんなすぐよくなって帰るから」
といってくれ、術後腫れた顔で会った時は「頑張ったね!すぐ腫れも引くよ。よかったね」
と声をかけてくれた。
そして今日は「元気でね。ふっくらして可愛くなったよ。手術してよかったね。
おばあちゃんの事たまには思い出してね」と
一人のおばあちゃんが和紙で作ったきれいなようじ入れをくれた。
本当にみなさん世話になりました。
ここではみんな仲良し。歳も関係ない。
この病院でよかった。
看護婦さんもみんな本当に優しかった。
今までの入院した中で一番じゃないかな?
それからバスで家にかえる・・・・
バスの窓にうつった横顔を見た。
もう顎出てない。
もう顎という言葉に反応しなくてすむんだって思った。
11日前この横顔みながら、手術の不安やどんなになるかを考えてたなあ。
早く子どもに会いたい。


入院期間12日間
個室8日 大部屋4日
入院費用  ¥226.068(うち個室追加料金¥45.360)
個室でなければ¥180.708
個室でずっとすごしたらこなっていたでしょう。
が、私は術後何日かは個室を希望したのでこうなりましたが、まさか八日間もいるつもりはなかったです。

手術を終えて・・・

まだまだ不安はあるし、これからが本当に大変だと思う。
でも変わったのは私の中で今まで物心ついて20年以上悩んでいたすっごく大きなものがなくなってるという事。
そしていつも気にしていた。
初対面の人に会う時なんか口を見られてないかとか。
そんなの悩まなくていいんだよね。これから。
私は手術してよかったってはっきり言える。
あんなに反対していた、主人、両親、義母も結局は心配だったというのもあったんだろうけど、みんなはるばるお見舞いに来てくれたし、協力してくれた。
帰ってきたら皆よくなった、「ふっくらしてかわいい、若くなった」と言う。
入院中も子どもや主人の事もよくしてくれたし、義母も手伝ってくれ、今は食べ物の困るからと病院の流動食を送ってくれた。

あんなに悩み、反対され挫折しそうになったけど、沢山の人に支えられここまで来た。
そして雨の日にはいつもあった頭痛や、顎がなることも今はない。
鏡を見るのが楽しい。これが普通なんだ・・・これになりたかった。
美人とかそんなんじゃない。ただ普通に物を噛む。笑って写真とったりしたい。
この顔曲がってないよね。
顎もでてないよね。
もう顎という言葉に敏感に反応しなくていいんだよね?

私は入院中一度だけ泣いた。
それはほっとしたからで、痛みや後悔ではない。
手術終わって目が覚めてしばらくして誰もいなくなった時、涙が勝手に出てきた。
無事終わったという安心感、今までのことを思い出して・・・
痛いなかで、やらなければよかったなんて一度も思わなかった。
これで私が変われるなら、絶対こんなの耐えられる!!
新しい自分を産み出す陣痛のようなものだと思ったから・・・